それでは、本は量を読みさえすればいいのか?
日本では、あまり読書の仕方ということを習いません。しかし、アメリカでは子どもたちは読書技術と呼べるようなものを習います。
スキミングすることや、メインテーマは何か見抜くこと、事例がメインテーマを支えることなど、読書と作文両面から習います。文章を書くことも、読み解くことも、コミュニケーション能力です。切り離せるものではなく、一つのものを発話と傾聴の両面から学ぶことです。そして作文の比重は、決して日本のように見劣りするような少なさではありません。
アメリカの小学校低学年の宿題は、主軸は読書です。異常なまでの読書、読書と言われます。リーディングの力が学力が大きく比例するという結果をもとに、なんせ多読を進めます。大学になれば、社会人になれば、分厚い本を何冊も、短期間に読まなければいけないというのが、ゴールに明確にあります。だから同時にいろんな本を並行して読むことを勧められます。面白いですね。質に関しては、日本ほど感動や美しさ倫理性といった内容に関して評価されはしません。書評、ライクの数、というようなことはあるのでしょうが、ダイバシティの国で、一つの物差しに押し込めるのは難しく危険なことです。ですから質というと単語の難易度や、暗喩などの表現の難易度、文章構成の難易度などを加味したリーディングレベルというものが、小さい子どもの本では設定されています。学校では担任の先生が子どものレベルを測り、親と共有します。そして、各子どものリーディングレベルに合わせて、先生がそのレベルの本を子どもに用意し、子どもたちはその中から好きな本をどんどん読み進めていきます。図書館に行ってもウェブサイトに行っても、リーディングレベルと本の一覧は簡単に調べられます。どの子も共通の教科書を読む日本と、大きく違いますね。恣意的に切り取られた部分ではなく、本を丸ごと読むこと、その子に見合った本を読むことが大きく違います。1年生の時は、ただ読むことを重視されました。2年生の息子の宿題は、毎日本を20分読み、読書記録をつけるのですが、とても良いものだと思うので、ここに参考にイメージをアップします。この記録には、毎日少しずつ違う質問が書かれています。この本のメインテーマは何か、今日読んだところの出来事を簡潔に書け、メインテーマを支える例を挙げよ、といった感じです。本が何であっても、質問は共通です(フィクションかノンフィクションかで変わることはありますが)。読書というのは、筆者が本を通して伝えたかった、こういうことを拾いながら読むのだというトレーニングを繰り返し、繰り返し行います。先生によってもちろんスタイルが違うのですが、毎日本を読むこと、それを記録することは、小学校の間ずっと変わりません。
読書は、もちろん楽しみで行うものであればいいと思いますが、日本では教育の現場でこういった視点が欠けていますので、補う場があればと思います。私は、子どもが小学校にもなると、親だけではなく、多様な大人、専門家の影響を受けながら育って欲しいと思っています。仲間でこのようなことが学び合えるブッククラブなど、行われてはいかがでしょうか?
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