2016年4月30日土曜日

考える力をつけるには?

考える子に育てたい!と思うけれど、そのアウトプットを目指すのに、何をインプットしてあげればいいのか?これはとても難しいです。
子育ては、ともかく「ああなってほしい」「これができてほしい」と、アウトプットしている理想像を妄想してしまうのですが、長時間仕込みに仕込んで、最終的な結果そこに行き着く過程を最初に描くのは、本当に難しい。
もはや、どれがどのような影響を与えたかということを細かく見ることは不可能ですが、我が家の長男は、恐ろしく頭をフル回転させ、勝負が大好きです。
初めて気がついたのは、小学校1年生の時に、じゃんけんの仕方に異常に執着するので会話をした時です。彼の学校では、「さんま」「ゴマ」といって、3回勝負のじゃんけん、5回勝負のじゃんけんがありました。彼はなるべく勝負回数を増やそう増やそうと交渉するのです。確かに、じゃんけんの回数が増えるほど、相手の手を読み、それを利用して勝負に出る機会が増える。しかし3歳下の弟には、回数が増えるほど難易度が高くなりすぎるので、大人が口を出したのですが、烈火の如く怒るわけです。彼は、友達や兄弟、先生など対戦相手の手の出し方を、驚くほど分析していました。一年前に会った友だちの手グセまで覚えているのだから、ひとたまりもありません。
しかし、彼が自分が勝てればそれでいいというタイプかというと、大きく違うところが面白いところです。彼は実利を選ぶ人間なので、「みんな仲良く」と母が言うお題目に毒されてそうなったわけではないのです。実は、彼は4〜6歳の時期に、とても素晴らしい保育園の先生と仲間達と過ごしました。仲間と遊ぶ楽しみが、骨の髄まで染み込んでいます。一人で遊ぶより、大勢で遊ぶのがどんなに楽しいか、その場を面白くするためには、どうすればいいのか。そこは決して一人勝ちを良しとするのではなく、ハンデの仕方、ご当地ルールの作成、チームの組み方と、ああだこうだ知恵を振り絞って、みんなも楽しい、俺も楽しいという遊びにすることに、頭をフル回転させるのです。いつも感心するのは、これを動的に行うところです。実戦と思考が同時にあり、舌を巻きます。人と関わるのが楽しいという大きな原動力と、他人という複雑怪奇で、終わりのない探求。彼の考える力は、複雑なものを扱うことで、どんどん鍛え続けられていると思います。
そして、家庭で取り組んだことで、よかったなと思うことは、ボードゲームやトランプを家族の団欒としたところです。忙しい父親が家に居られる時に、一緒に時間を過ごす方法として、ブロッキャス、モノポリー、カタンといったボードゲームや、トランプの大富豪、ナポレオン、セブンブリッジといったものを、3、4歳から延々とやっています。いろんなゲームを取り組む中で、子どもの特性も見えてきます。新しいルールへの適応が早く最初よく勝つけれど、必勝法を掴むまで考え抜けない次男。新しいルールを覚えるのは難しいけれど、考え抜いて必勝法を編み出し、どんどん勝ちっぱなしになる長男。さらに、この特性も、さらに遊び込むようになって、長男の新しいゲームへの適応が早くなるなど、どんどん変わっていきました。最近は、ゲーム大会と称して、サンクスギビングや年末といった大型連休に、1つのゲームだけじゃなく、10種競技のように、総合得点で争うことをしています。特に予定もなく家にいるとき、2日連続耐久戦、複数ゲームの総合格闘技です。前もって、どんな順番で、どんな点数のつけ方にするといいか、誰にどんなハンデを付けるかといったことを、家族ワイワイガヤガヤ話し合って決めます。誰もが喜ぶような賞品を各自用意することも欠かせません。当日は、頭を使いすぎて、えらく疲労するし、子どもたちがあまりに強くなりすぎて、全然休んだ気にならない休みです…思春期の父子関係を思うと、子どもが小さいうちからやって良かったことの一つです。
一方で、クッタクタになっても遊び続ける、楽しいから昼ごはん食べる時間すら惜しくて、昼ごはんはほとんど食べない。。。そこまで大変でもやりこむほど、中毒になる程遊ぶ事が大好きだし、集中できるというのも、大事な力です。個性も関係しています。何事もバランスを崩さない次男は、集中する時もバランスを崩すような真似はしないが、何日間にも及ぶ持続力はすごい。長男は度肝を抜く集中力を見せるけれども、次男ほどの何日にも及ぶような持続力はない。次男が集中する力をもっと付けてあげたいと思ったこともありました。はまった釣りに毎週通うことを1年ほど続けました。彼は深さより、長さというのが、私の出した結論でした。己を知るということは、とても大事なことだと思いますが、兄弟がこうも違い学び合えるというのも面白いですね。一緒に暮らし、時に苛立ちながら、彼らは他者を学び続けています。とても大きな恵みになっています。

自然を愛する心を育てるには?

自然を愛する心を育てたいからと、
「花は摘まない!」
「ゴミは捨てない!」
と声だけかけていても、あまり効果はない気がします。

子どもは放っておいても、どんどん自然で遊びます。まずはそれを邪魔しない。
子どもが感心を持ってくれないなら、まずは大人が楽しむ。
内田樹さんの本が好きなのですが、顧客満足に関して書かれた記事で、動機付けという観点で論を展開されていますが、子どもと接するときになんせ一番効果があるのは、目の前で体現されていて、ついやりたくなること。違うね、の前に子どもは一緒だね、を学びます。真似したい!ママ一緒だね!という共感。これを繰り返し繰り返し積んで身にしていく。

都会に住んでいるから無理、なんて言わないでください。東京に住んでいましたが、キツツキもいれば、オタマジャクシも、タンポポも。釣りもしたし、カブトムシやクワガタだって、23区で楽しめました。田舎にいたって、季節も生き物も気づかずに過ぎていきます。子どもたちと、是非探して楽しんでみてください。
楽しみ方がわからなかったら、ネイチャーゲームをいう方法を参考にしてみるのも手ですし、得意な人に聞いてみたり、得意な人が行う会に顔を出してみるのもいい方法です。
保育園の先生がどうやって子どもと接しているのかな?と、時間を見つけて、お手伝いがてら保育園に顔を出すのは、自分のポケットを豊かにしてくれます。例えば、我が家では子どもが道端の小さな花を摘んでプレゼントしてくれました。落ちていたツツジを拾ってきてくれた、タンポポをつんできてくれた。そしたら、しおれていようと食卓や玄関にジュースの瓶でもいいので挿して飾ってあげてください。小さいソープディッシュに浮かべてあげるだけだっていいんです。誇らしげな顔が眩しかったですよ。
もちろんこれは近所の方のお庭の花だから、これは公園のだからダメだよ、ということを知ることも大事ですが、お水をあげているおばちゃんに、一輪くださいとお願いしてみようか?という事だってできるわけです。

そして子どもが虫や生き物、花を手にとっても、大きい声で「汚い!」とか言わないでください。ハチを叩くとか、よっぽど危ないことでない限り、感じて学ぶのが一番です。大好きで、一番の先生であるあなたが「汚い」と言えば、それはもう「汚い」烙印から逃れるのはとても難しい。ダンゴムシは、どの子も大好き。保育園から帰ったら、ポケットにうじゃうじゃ入っていることだってありました。庭の植木鉢や公園に一緒に放してあげたらどうでしょう。大人になってもそんなこと続ける人は、滅多にいないでしょうから、小さい頃の可愛い話として、大目に見てあげてくださいね。

子どもは大人が夢中になっていることほど、気になるものはありません。
おたまじゃくし捕りでも、釣りでも、ヨモギ摘みでも、綺麗な季節を楽しまれてはいかがでしょう?大人が夢中な姿に、どうしても俺もやらせてよう!と言い出したらしめたもの。特に食べられるというのはすごい原動力。お友だちが、お子さんが摘んできた5本ほどのつくし、夜ご飯に佃煮にしてあげたんだそうです。小さな自分がみんなの胃袋を喜ばした!子供には、こんなに嬉しく誇らしげなことはありません。
一度エンジンがかかったら、極力大人は口も手も出さず、集中力と創意工夫の心を思う存分発揮させてあげれば、その後出会う勉強もスポーツも、自分の力でどんどん切り拓いていく頼もしい子どもが育ちますよ。

本を読むときの声掛け?小学生の読書

それでは、本は量を読みさえすればいいのか?
日本では、あまり読書の仕方ということを習いません。しかし、アメリカでは子どもたちは読書技術と呼べるようなものを習います。
スキミングすることや、メインテーマは何か見抜くこと、事例がメインテーマを支えることなど、読書と作文両面から習います。文章を書くことも、読み解くことも、コミュニケーション能力です。切り離せるものではなく、一つのものを発話と傾聴の両面から学ぶことです。そして作文の比重は、決して日本のように見劣りするような少なさではありません。
アメリカの小学校低学年の宿題は、主軸は読書です。異常なまでの読書、読書と言われます。リーディングの力が学力が大きく比例するという結果をもとに、なんせ多読を進めます。大学になれば、社会人になれば、分厚い本を何冊も、短期間に読まなければいけないというのが、ゴールに明確にあります。だから同時にいろんな本を並行して読むことを勧められます。面白いですね。質に関しては、日本ほど感動や美しさ倫理性といった内容に関して評価されはしません。書評、ライクの数、というようなことはあるのでしょうが、ダイバシティの国で、一つの物差しに押し込めるのは難しく危険なことです。ですから質というと単語の難易度や、暗喩などの表現の難易度、文章構成の難易度などを加味したリーディングレベルというものが、小さい子どもの本では設定されています。学校では担任の先生が子どものレベルを測り、親と共有します。そして、各子どものリーディングレベルに合わせて、先生がそのレベルの本を子どもに用意し、子どもたちはその中から好きな本をどんどん読み進めていきます。図書館に行ってもウェブサイトに行っても、リーディングレベルと本の一覧は簡単に調べられます。どの子も共通の教科書を読む日本と、大きく違いますね。恣意的に切り取られた部分ではなく、本を丸ごと読むこと、その子に見合った本を読むことが大きく違います。1年生の時は、ただ読むことを重視されました。2年生の息子の宿題は、毎日本を20分読み、読書記録をつけるのですが、とても良いものだと思うので、ここに参考にイメージをアップします。この記録には、毎日少しずつ違う質問が書かれています。この本のメインテーマは何か、今日読んだところの出来事を簡潔に書け、メインテーマを支える例を挙げよ、といった感じです。本が何であっても、質問は共通です(フィクションかノンフィクションかで変わることはありますが)。読書というのは、筆者が本を通して伝えたかった、こういうことを拾いながら読むのだというトレーニングを繰り返し、繰り返し行います。先生によってもちろんスタイルが違うのですが、毎日本を読むこと、それを記録することは、小学校の間ずっと変わりません。
読書は、もちろん楽しみで行うものであればいいと思いますが、日本では教育の現場でこういった視点が欠けていますので、補う場があればと思います。私は、子どもが小学校にもなると、親だけではなく、多様な大人、専門家の影響を受けながら育って欲しいと思っています。仲間でこのようなことが学び合えるブッククラブなど、行われてはいかがでしょうか?

本好きに育てるには?

小さい頃から、毎晩いっぱい絵本読んであげた。でも小学校に入って、読んでもらうから、自分で読む、読みたい、、、あわよくば読みたくって読みたくってたまらない!そんな方向にどうやって転向すればいいのか?

結論から話せば、質より量。

質といえば、読んであげる絵本は、かなり私の好みでチョイスしてきました。今振り返っても、7歳までは、何が大切か、どんなものが好きか、気持ちいいかという人間としてのベースを培う大事な時期だから、野放しはやっぱり良くないのではないかな、と思います。他人への言葉のかけ方、他人の行いへの敬意の払い方、正義とは何か、子どもの本とはいえ、いいえ、子どもの本だからこそ、こだわりたいところがあって、譲れないところがあります。しかし自分で読めるようになった!図書館行きたい!といって通い始めると、手に取るのは、怪傑ゾロリや、忍たま、下ネタとか、くだらない話とか、、、本当に大好き。ゲラゲラ笑って、何度も何度も読んでいるんだけど、、、長男の時に、さすがにママはこれは好きじゃないので、こっち読んで欲しいなというような口を出したら、見事に読書量が減りました。そこで、ええいどうにでもなれ!と一切口出しをやめ、「あなたは本当に本好きだね!」と言いながら、ニコニコしていると、どんどん読むわ読むわ。しまいには、もう寝ないと!トイレで読まない!と止める始末です。しかし気に入っていたシリーズものも、もうおしまいが近くなり、少し読書にも陰りか見えてきました。息子が好きな本はどんなものか、横目で見ていると、好みも察しがつきます。そこでブックレビューや司書さんへの質問で目星をつけておいた本を、ちょっとオススメしてみる。長男は、怪傑ゾロリが好きだったので、怪盗二十面相の少年探偵団シリーズに移行し、その後怪盗ルパンシリーズ、シャーロックホームズシリーズ、SFの世界、ファンタジーの世界、中国の3大小説とハードな山をどんどん登って行きました。この時気がついたのは、何度かガラスの天井にぶつかって停滞するということです。まずは、漢字にふりがなが付いていないと読めないという時期。漢字がとても苦手な子供だったので、興味関心と漢字のレベルに差があると、なかなか心が動かされません。アメリカ滞在中は、漢字のレベルがどうしても停滞し、英語の本のレベルがどんどん上がるけれど、日本の本はちっとも手に取らないという時期がありました。青い鳥文庫など、ふりがながたくさん振ってある本は、とても助けになります。その後、読めない漢字があっても読み進められる力という読書テクニックを学ぶ時期があります。ここまでくると、逆に読書好きであることが、漢字の読む力をとても伸ばしてくれています。

まずは大好きな本に目一杯はまること。読書って楽しい!という経験があれば、あとは出会いです。この本は、できたら読んで欲しいなという本が、誰にでも何冊かあるのではと思いますが、あくまで子どもの今楽しいという読書の旅に沿わせて。